第3章 社会脳仮説と時間収支モデル
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人類進化を調べようとする本書の枠組みには2つの重要な要素がある
これらの二要素が化石に出現する主要なホミニン種を同定し、彼らがそれぞれの状況にどう対処したかを探るための手段になる さらにこの枠組は、これらホミニン種の新たな行動や認知を知るための判断基準をも提供してくれる
脳の大きさが変わったことによって新たな需要が生じると、これに応えて時間収支を調整する必要に迫られるからだ
行動の複雑さ、脳の大きさ
一般に、霊長類(おそらく、あらゆる哺乳類と鳥類も)の脳が進化する原動力となったのは、複雑な社会性の進化だったと考えられている 行動の他の側面にも脳の大きさと相関を持つものがあるが、これらの側面は大きな脳が進化した原因というよりは結果だ
たいていの哺乳類や鳥類では、社会脳仮説は脳の大きさと配偶体制との関係に現れる
複数のつがい相手をもったり、相手かまわず交尾したりする種に比べて、単婚種は脳が大きい 長期にわたる雌雄間の深い絆(ペアボンディング)は、浮気性の種がもつ浅い関係より高度な認知能力を必要とするのではないかと私達は考えている つがい相手のいる個体は相手の利益も考慮して行動を決めねばならない。相手の望みを知った上で何らかの譲歩を引き出さなければならない。
高次の認知機能、ことに社会的機能を支配する
さらに種内でも、より社会性の高い個体(嬢王蜂など)は、社会性の低い個体(働き蜂など)より大きな脳を持つ
霊長類および少数の他の哺乳類の科(ゾウやウマが有名)でも、社会脳効果はその種の脳の大きさと社会集団の平均規模との定量的関係に見ることができる これらの種は総じて社会的つながりを持つ
それは性行動や繁殖にかかわりのない友情、強い親しみをもつ関係と考えていい
これはシカやレイヨウなど大半の群生動物に見られる、やや気ままでその場限りの関係と際立った対照をなす 霊長類の「友情」はペアボンディングと似通っていて、繁殖時に決まった相手とつがう他の哺乳類や鳥類と同じく、脳のより高次の能力を必要とする
ある個体が対処できるそうした関係の数は脳の大きさの単関数で表される
霊長類では、社会脳が作り出す関係性は、脳の大きさと相関をもつ社会集団の規模に認知上の制限をかけることがわかる
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類人猿: ●と実線
サル: ○と破線
原猿類: △と点線
ヒトとサルの双方では、個体レベル(Facebookの友達数など)において、主要な脳領域の絶対容量が社会ネットワークの規模と相関のあることが、近年行われた多数の脳イメージング研究によって実証され、社会脳仮説がおおいにもてはやされることとなった ここでポイントとなるのは、脳イメージングは同一種の個体同士を比較するので、社会脳仮説が種レベルでも種内の個体レベルでも成立することを示す点
本書全体を通して「脳の大きさ」という言葉は緩やかな意味で使う小音にする
実際には、それは新皮質の容量を意味し、比較対象実験および脳イメージング実験のどちらでも、重要なのは前頭葉の容量であることがわかっている より重要なのは、仮説が注目するのが「行動の複雑さ」と脳(新皮質)の大きさであり、集団の規模は二次的であること
すなわち、ある個体が維持できる関係の数は、その社会的行動の複雑さに依存し、この社会的行動の複雑さが認知能力に依存する
このことは霊長類ではっきりと見て取ることができる
数種の行動指標が新皮質容量と相関を持っている
それらの指標には毛づくろい派閥の規模、同盟、ごまかし、雄による交尾戦略、顔や声の複雑さ
社会集団の規模は社会の複雑さをよく示す単純な尺度として使えるが、それは大きな社会集団には明らかに小集団より多くのつがいがいるから
さらに重要なのは集団の規模が、個体の行動力および認知能力と、外的環境との相互作用である点
つまり、動物が生態学的問題をどう解決するか
社会性は脳の進化にかかわるおもな原動力と考えられるが、動物の生態や生活史にかかわる他の側面も脳の大きさと相関がある
これらの側面の大半は脳の成長を制限するからだ
脳組織は発達時には一定の割合で成長することしかできないので、大きな脳が欲しいなら長い時間をかけなければならない
脳の成長に近道はない
このことは、少なくとも哺乳類では、大きな脳がほしければ妊娠期間と授乳期間が長くなることを意味する ヒトの脳イメージング実験によると、複雑な社会でどうふるまうべきかを脳が十分に理解するには驚くほど長い期間(約20~25年)がかかるという
脳は成長と維持にきわめて高いコストがかかる
成人の脳は毎日の総摂取エネルギーの約20%を必要とするのに対し、体重比にして2%を占めるにすぎない
つまり、脳はその質量を維持するのに必要なエネルギーの約10倍ものエネルギーを消費している
しかも、これは脳がただ生きている状態で費やすエネルギーの話で、私達が様々な行為をしている場合のコストは含まれない
ということは、脳のエネルギーをまかなうのに十分な食物を手に入れる効率のよい食べ物探し戦略が、大きな脳を進化させる種の能力にとってますます重要な制限条件となる
種がその食性を変えずに大きな脳を進化させようとしても、一部の食物(おもに葉)はあまりに消化に時間がかかるか質が低い
これは種の認知能力を制限する一種の「灰色の天井」(主に脳のタンパク質に関わる)と考えることができる サルや類人猿はその他すべての哺乳類(原猿類を含む)と比べた場合、前頭前野にまったく新しい脳領域を進化させた点において異なる そうした能力には飛躍的な因果推論(一度で学習する)をしたり、行動の結果を未来に投影して想像したりする能力が含まれる 私達が行った脳イメージング実験で、もう一つ重要な発見があった
したがって、サル、類人猿、ヒトとどんどん上がっていくメンタライジング能力の相違点は、これらの種が社会文化的にできることについて劇的な影響をもつと考えられる
また、前頭前野は衝動的な反応(厳密に言えば、非常に優勢な反応)を抑制する能力と関連していて、いますぐ報酬を得るのではなく先延ばしにするのを可能にする
これは他の種に比べてヒトが得意とするところだ
このようにして報酬を先延ばしにできる能力は、結束した大きな社会集団の形成に欠かせない
集団の中で全員が公平な報酬を受け取るためには、各自がすぐに自分の欲望を満たすのを差し控えるのが前提となるからだ
前頭葉が大きな種は、こうした衝動を抑制することができる ヒトの典型的な集団が150人という証拠
これまでの論旨の要点は、社会脳仮説が脳の大きさから社会集団の規模を予測する正確な方程式をもたらすということ
では社会脳は、現生人類について何を語ってくれるだろうか 図3-1を見れば、実際には多数の段階群が並存することは明らかだ
このことは、グラフの片側に偏った類人猿において最も明らかといえる
実際、これらの段階群は、左側から右側に移るにつれて社会認知の複雑さが増すことを示す
ヒトは類人猿の仲間なので、ヒトの集団規模を推測するには霊長類全体ではなく類人猿の段階の式として用いる必要がある
現生人類の新皮質比を類人猿の方程式に代入すると、およそ150人という数字が集団の規模として予測できる
一つの答えは、狩猟採集社会に関する調査データから得られる
これらの社会は、私達が進化過程をほぼとおして生きてきた小規模な社会組織
人類の脳の大きさはこの20万年ほとんど変わっていないので、これらの社会はこの予測を検証するのに特にふさわしい
これは実際には、人間の空間分布を上空から見下ろし、その共同体の空間的構造を記述することに相当する
おおかたの霊長類の例にもれず、狩猟採集民は同心円状に重なる階層構造を持つ社会組織を形成する 家族、移動生活をともにする集団(バンド/野営集団)、共同体(クラン)、やや大きめの共同体(メガバンド)、民族・言語的集団(トライブ)のように拡大する組織 図3-2に狩猟採集民社会の家族レベル(社会脳仮説を当てはめるには明らかに小さすぎる)より上の層分布を示す
https://gyazo.com/b6bc4dec0c1ded68564d3fbaca90f4e5
これらの集団の中で、典型的な150人の規模をもつ唯一の層が共同体であるのは一目瞭然
狩猟採集民社会では、この層はたいてい一定の土地または特定の資源へのアクセス権をもつ群れ
これらの人々は、通過儀礼などの儀式のために多くは一年に一度集まる
表3-1はおよそ150人の群れがヒトの社会組織でどれほど一般的かを示す
table: 表3-1 過去および現在の人類のおもな個体群の共同体規模
個体群 典型的な規模
新石器時代の村落(中東、紀元前6500~5500年) 150-200
歩兵中隊(百人隊2個)(古代ローマ軍、紀元前350~100年) 120-130
土地台帳(ドゥームズデイ・ブック、1085年)カウンティ村落の平均規模 150
18世紀イギリスの村落(各カウンティ平均の平均) 160
民族社会(共同体の平均と範囲; N = 9) 148(90-222)
フッター派の農業共同体(カナダ) (平均; N =51) 107
「ネブラスカ州」のアーミッシュ教区(平均; N =80) 113
英国国教会の信心会(推奨理想規模) 200
テネシー州東部(アメリカ)地方の山岳共同体 197
社会ネットワークの規模(平均; N = 2 "小さな世界(スモールワールド)"の実験) 134
ゴアテックス社: 工場ユニット規模 150
企業(平均と範囲) (第二次世界大戦の軍隊; N = 10) 180(124-223)
クリスマスカード送付先リスト(平均総受取人数; N = 43) 154
研究専門分野(自然科学および人文科学) (最頻値; N = 13) 100-200
近代の軍隊では、独立して行動できる最小単位は中隊で、平均してちょうど150人(約120~180人)の規模
別のアプローチは、だれかにその人が属する社会ネットワークを教えてもらうことだ
これは、個人の視点から社会をボトムアップで見ることになる
わたしたちはこの手法を何度か試みた
あるクリスマスカード調査では、カードの受取主の数は平均して154人で、150人にかなり近かった
別の調査で大勢の女性に自分のネットワークに属する人数を尋ねると、上限はおよそ150人だった
他の研究者は、ツイッターのグループ規模とメールのグループ規模を調べた
この場合も、つながりのある人数はたいがい100~200人に収まった
フェイスブックアカウントに関する100万人を対象にした最近のある調査では、友達の数に大きなばらつきが認められた
少数の人が5000人を挙げたものの、500人を超える人は少なく、大半はおよそ150~250人にとどまった
この場合でも、すべての人を本当に把握しているわけではない
社会脳仮説は現生人類の「自然な」共同体の規模として約150人を予測しており、その証拠は非公式なものから学術的なものに至るまで豊富にある
そこで議論を先にすすめるには、広範囲の化石ホミニンの共同体規模を社会脳の方程式によって予測する必要がある
これによって、人類進化の各段階における保見人行動を評価するために欠かせない枠組みが得られるだろう
脳は頭蓋全体を満たすわけではないので、予測計算ではその分修正を加えた頭蓋容量を使う 注意を要するのは、脳領域はその種にかかわる生態学的圧力によっては異なる速度で進化する場合もあるということ
いずれも全脳容量から予測されるより小さな新皮質をもつが、これはおもに彼らの小脳が大きいため 小脳は大脳後部のましたにある小さな塊
脳のなかでもきわめて古い部位であり、おもな機能は脳の異なる領域における認知処理を統合し、一連の処理が正しいタイミングで正しい順序で行われるように調整することにある
このため、小脳は移動に深く関わっていて、おかげで私達の脚は協調してバランスを保つようにはたらく
小脳はヒトの系統では他の霊長類よりお大きく、その理由は二足歩行の複雑さが一部関係している しかし、その機能は移動に限られているわけではなく、思考過程全般の協調にも関わっているようだ
彼らは森の中という三次元環境でかなり大きな身体を動かさねばならないからだろう
したがって、単に頭蓋容量を用いて計算すると、これらの種が持つ新皮質の大きさの推定値が大きくなりすぎ、社会集団の規模についても推定値が大きくなりすぎる
小脳には多くの機能があり、なかでも体の平衡を保つことがある
二足歩行時には平衡を保つのがとても難しいから
ということは、二足歩行するようになってからの化石ホミニンではどの種でも、頭蓋容量によって集団規模を計算すると推定値が大きくなりすぎる
しかし、ひとまずこの点は脇に置き、頭蓋容量の情報だけから化石ホミニンの集団規模についてどれほどのことがわかるか試してみよう
各化石ホミニンの個体群について、集団の規模を頭蓋容量を用いて大型類人猿の社会脳方程式によって推測する
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図3-3 主なホミニン種の共同体規模の中央値(50~95%の範囲)
頭蓋容量を新皮質比に変換し、次にこれらの値を図3-1の類人猿方程式に代入して内挿することで予測した
実線で示す水平線は現生人類の共同体規模(150)、破線はチンパンジー共同体の平均規模
第6章で述べる理由により、ネアンデルタール人はこのグラフに示していない
もちろん、このデータはただの頭蓋容量の変化をプロットしただけなので、グラフが示すのは各ホミニンの個体群の規模を表す具体的数字と、その変動のみ
しかし、本書のテーマを考えるなら、どの種も典型的な共同体を結束の固い社会として維持し、それが時間収支に与えると思われる影響に対処できることが重要になる
古人類学者は、図3-3に示したようなデータにはさしたる意味はなく、それは化石ホミニンは現生人類と行動がかなりちがっていたので、相当異なる脳をもっていたかもしれないからだと主張する
だが、この主張はやや説得力に欠ける
なぜならここに示した数値は、チンパンジーと現生人類について正確に知られた集団規模の範囲の両端をアンカーポイントとしてプロットしているからだ
社会脳仮説は、チンパンジーと現生人類(そして、その他のすべての現生霊長類)については成立するとしよう
しかも既知の化石ホミニン同士を隔てる数百万年のあいだのみ、私達にまだ知られていないホミニンが、なんらかの理由でほかのあらゆる霊長類とまったく違う脳または社会体制をもっていたと仮定しよう
それでも、これらのホミニンがアンカーポイント間でどのおように分布したかという問題は残る
ただし、それに反する原理的な理由がない限りという制限条件はついている
だが、今日に至るまで、そうした原理的な理由は一つも見つかっていない
共同体がじつは共同体でないとき
社会脳仮説にとってたえず悩みの種だった別の問題について見てみよう
社会脳仮説はヒトが自然につくる集団の規模についてはきわめて具体的に予測していて、これを追認する証拠には事欠かない
とはいえ、ただ証拠があるというだけでは、現生人類が形成する共同体の「真の」規模に関する反論を封じることはできない
たいていの考古学者は、考古学的記録から読み取れる共同体は一夜限りの野営集団(バンド)だと指摘する
また、社会人類学では、こうした野営集団を現代の狩猟採集民の基本的な社会単位だと伝統的に考えてきた
野営集団の規模はおおむね30~50人で、その土地の環境と集団を構成する人々の経済事情によって異なる
これと正反対の考えをもつ社会学者によれば、ヒトの自然な集団規模は150人よりかなり大きいという
彼らは伝統的社会では民族は寄り集まりがちであること、ネット上のSNSで一部の人が大きな私的「ネットワーク」をもつことを根拠にあげる
これらの社会学者たちは、自然な共同体の規模として200人を優に超える500~1000人をも視野に入れる
実際、考古学者が正しく、50人のバンドがヒトの基本的な共同体であるなら、チンパンジーと枝分かれしてから私達は真の意味では社会的に進化していないことになる
チンパンジーの共同体規模の平均は55
もしそうなら、説明すべきことは何もないし、そもそも私はこの本を書いてはいない
反対に社会学者が正しく、ヒトの自然な集団の規模がかなり大きいのだとすれば、150人という集団に注目する社会脳の考え方は根本的に間違っているのかもしれない
しかし、このジレンマに対する答えはいたって簡単だ
民族誌学的な証拠によれば、狩猟採集民の野営集団はじつはヒトの社会組織の基本単位ではない
その理由は、バンドがごく不安定な集団だからだ
個体や家族が頻繁に出入りするため、これらの小集団の構成員は数ヶ月単位で変わる
重要なのは、ある家族が別の野営集団に加わる時、かならず同じ150人の共同体(結束の強い共同体つまり氏族)内の小集団を選び、全く別の共同体のバンドに加わることはめったにないことだ 同様に、私達の大半は150人以上の人を知っているとは言え、その150人の層と、それ以外の人の層では大きな違いがある
私達は150人を超える外側の層の人々をただの知人と認識するのが普通で、それらの人々は真の意味での友人や親族というよりただの顔見知りに過ぎない
ここ10年にわたって私達が行ってきた研究によれば、150人の層を境に明確な区別がある
その内側にいる人々は、長期にわたって深いかかわりの合った人で、互いに信頼感や義務感、互恵性がある
これに対して、、50人を超える層の人々との関係はより浅く、互恵性がなく、つながりの歴史は短い
私達はこうした人々に対してあまり寛容ではないことがわかっている
当然、他の人がつくった別の集団層というものが確実に存在する
実際、図3-2に示した中心から同心円状に重なる階層構造では、こうした層がその一部を成している
社会脳の考え方では、現生人類における150人の層を、サルや類人猿の自然な集団に匹敵すると考える
他の研究者たちのように、別の集団層を重視することはもちろん可能だが、これらの層は実際にはどれも同じというわけではない
それは非常に異なった種類や質の社会関係を表していて、あとでわかるように、現生人類にとってきわめて異なる機能を果たす
第8章で見るように、150人の層は別の明らかに社会的理由から重要になる
それは、私達が血縁関係を認識できる限界を表している
私達人類の文化で、150人の層の外側にいる人に対する血縁関係を示す言葉を持つものは一つもない
この走破社会脳仮説における霊長類の社会集団に対応するので、私達が考慮すべきはこの層の大きさだということになる
社会ネットワークの階層は三の倍数で増えていく
社会集団は、全体として均質であると考えられがち
たしかに大半の種ではそのとおりだが、霊長類の大きな集団は実際には高度に構造化され、ヒトの共同体に似通っている
霊長類が大きな集団で暮らせるのは、この構造化のおかげと思われる
各個体は徒党を組んだ重要な相手に毛づくろいする
第2章でみてきたように、大集団で暮らすコストから守ってくれるのはこうした同盟関係だからだ
また、構造化は社会体制を複雑にし、類人猿を特徴づける一定の認知能力を要求する
図3-2から明らかなように、幾重にも入れ子になった階層構造をもつ社会組織の中で、狩猟採集民の共同体は一つの層を成している
この意味において、狩猟採集社会はあらゆる人類社会の典型例であり、たいていのサルや類人猿も同様あることがわかっている
この点についてさらに調べるため、私達は図3-2に示した民族誌学的データにおける集団規模の分布をフラクタル理論によって解析し、データに繰り返し現れるパターンを探った すると、社会そうにはひときわ際立った比率があることがわかった
各層の大きさはそのすぐ内側の層の約3倍になっている
私達が調べた狩猟採集民のデータでは、一連の層は50, 150, 500, 1500と変化した
つまり、約50人からなる野営集団](バンド)が3つ集まって結束した共同体(氏族)に、こうした集団が3つ集まってやや大規模な共同体(メガバンド)に、この大きな共同体が3つ集まって民族・言語的単位(トライブ)になるという具合 私達が行ったクリスマスカード実験のデータで接触頻度を調べると、全く同じパターンが得られた
各層は5, 15, 50, 150とほぼ3の倍数で増える
これら2種のデータから、中心の5から一番外側の層の1500まで増えていく集団層の自然な序列は、おおまかに、5, 15, 50, 150, 500, 1500というきわめて特異的なパターンをもつことがわかる
喜ばしいことに、その後行われた別の研究でも、異なる狩猟採集民のデータで同様のパターンが見られた
実際にはこういう結果になったのは、彼らが集団の序列を真の最初の集団レベル(5人のレベル)ではなく、個体レベル(実質的に集団サイズ1)を基準としたことに起因する
さらに興味深いことに、複雑な社会を構成する他の哺乳類(チンパンジー、ヒヒ、ゾウ、シャチ)による社会の階層構造でも、私達は同じ大きさの変化を発見した このことは、この特定のパターンが複雑な社会体制を持つ哺乳類に広く当てはまることを示唆している
図3-4に、このことが各人の始点からどう見えるかを示す
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ヒトでは最も親しい友人(5)、親友(15)、良好な関係の友人(50)、友人(150)、知り合い(500)、名前と顔が一致する人々(1500)と考えることができる
現代社会では、内側の四層は家族と友人がおよそ半々で、それより外側の層は顔を見知っている程度の人のみで占められる
これを説明する自明な説は中心のチンパンジー50頭の共同体から、150、500、1500頭の層へと、ホミニンが段階を経て進化したというもの
なぜ3の倍数で増えるのか私達には検討もつかないが、霊長類、ゾウ、シャチでも倍数はきっかり3だ
それぞれに一定の複雑な社会体制を持つ種間に認められる差異は、各層の大きさではなく数のようだ
たとえば、ヒトの六層に対して、チンパンジーとヒヒは三層、まちがいなく知能の低いコロブス亜科のサルは一層(せいぜい二層)しかない 多層化した社会体制を維持する能力は、同時にいくつかの集団層に対処するために高度な認知能力を発達させた種にかかわることが十分考えられる
霊長類では、新皮質が小さい種と比較すると、新皮質の大きな種は2つの異なる社会戦略(「個体による支配」対「社会同盟」)を組み合わせる傾向があった
トーレ・バーグマンとジャシンタ・ビーナーはきわめて優れたフィールド実験によって、ヒヒがある個体の血縁関係にかかわる知識と、それらの個体の地位にかかわる知識を関連づけ、この二種の異質な情報を別々に頭の中に保存できることを実証した より知能の引くコロブス亜科のサルにはこうした芸当は無理なので、彼らの集団はより単純な支配階級の原理に基づいた構造をもち、彼らの集団がより小さいのはこのためと思われた
こうした構造化が実際に示しているのは、集団内のある構成員が他の構成員と相互作用する度合い
サルや類人猿の場合には毛づくろい
ヒトの場合には、私達の社会行動(社会関係資本と言い換えてもいい)全体の約40%が、5人の最も親しい友人や家族に向けられる いちばん内側の二層にいる15人に約60%が、残りの40%が外側の二層にいる135人にあてられる
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イギリスとベルギーに住む251人の女性を対象にした完全な社会ネットワークにもとづく
サム・ロバーツと私は、これらの接触行動が情緒的な親しみの度合いと密接に関係することを実証した 18ヶ月にわたって関係の変化を調べた結果、友人間で相互作用の頻度が減ると親近感も減った
面白いことに、同じデータをヤリ・サラマキが追跡解析したところ、自分が属している広い社会ネットワーク内の人にどのように社会関係資本(時間と情動)を振り分けるかについて、私達はそれぞれにきわめて明確な(特徴というよりは)特性をもつことがわかった ネットワークの構成にかなり変更があった場合にも(引っ越しなど)、この傾向は相当に強力で変化がなかった
サルや類人猿と同じように、私達は自分の社会関係資本を一番大事な相手に集中する
つまり、情動その他の面でいちばん支えとなってくれる最も近しい人々に資本をあてる 同時に私達は、ときおり援助の手を差し伸べてくれる多くの人とのつながりも残しておく
社会学ではたった二種の社会関係しか区別しないが、図3-4では明らかに四種の社会関係が成立する点に留意
このデータを見れば、サルや類人猿の集団と同じように、社会的相互作用が人間関係において強力な糊のような役目を果たしていることがわかる
さらに、あらゆる霊長類の時間収支において、毛づくろいの時間が持つ意味合いの大切さも思い出させてくれる
なぜ時間のやりくりが大切なのか
化石ホミニンがどれほど環境にうまく対処したかを知る手段になってくれる
社会脳の考え方と考古学的データを組み合わせれば、これらのモデルはホミニンの社会的進化を理解する一助になるだろう
時間収支モデルの概念は簡単そのもの
ある生息地で動物が生きていくには、そこにエネルギー源と栄養源があり、社会集団にまとまりのあることが必要
栄養が源の需要を満たすには一定の時間を食物探し(摂食と移動を含む)にあて、社会的なまとまりについてはそれを可能にする活動、霊長類の場合には社会的な毛づくろいに時間をあてればすむ
最後に残る主な活動は休息のみ
これは他にすることがないとい意味の休息ではない
日中に体温が上昇しすぎるのを避けるために活動しない時間
あるいは草食動物の場合には消化時間
発酵は長時間かかるので、その間これらの動物は静かに過ごさなければならない
なんらかの活動をすれば細菌による発酵が止まってしまう
野生ザルと類人猿の研究データから、私達は各属が摂食、移動、休息にあてる時間をある場所におけるその食性、天候、社会集団の規模の関数として表す方程式を開発した
このためには、通常起きている日中(熱帯地方のサルと類人猿の場合には12時間)のうち残されている時間を計算し、その時間内につながりを築ける集団の規模を決めるだけでいい
ある種がある土地で3,4頭の集団しか築けないなら、その種がその場所で存続するのは難しいと思われる
捕食する危険性を考えればなおさら
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図3-6
まず、ある土地の気候から始める
気候は主要な時間収支要素を直接かつ間接に決めるので、それに基づいて各種がこの場所で暮らしていける最大の集団規模を計算する
「属」は一般には同一の食性と身体構造を共有する類縁度の高い種の集団 それぞれの体の大きさと生理学的(とりわけ消化に関わる)特徴によって方程式は微妙にちがってくる たとえば、サルは熟していない果物を消化できるが、類人猿は(人間も)消化できない
つまり、類人猿はサルとはかなりちがった方法で食物を探さなければならないことになる
以下の分析では主にチンパンジーのモデルを使うことにするが、それはチンパンジーが初期ホミニンが大型類人猿から枝分かれした自然な分岐点だからだ
最大許容サイズは、どの場所についても$ (100 - (\small{摂食 + 移動 + 休息}) - 1.55)/0.23によって算出できる
休息時間と社交時間の式は、あらゆる霊長類のデータから得られた一般方程式であり、摂食時間と移動時間の式はチンパンジーに固有の方程式
このモデルからは、とても勇気づけられる発見が得られた
各霊長類の時間収支要素を予測するのに必要なのは、3つの気候変数のみであることがわかった
このことはいくつかの理由から幸運だった
まず、ある属の大陸規模の現在の分布を一定の精度で予測するの必要な情報が驚くほど少ない
第二に、モデルを過去に適用するのがきわめて簡単
これらのモデルの生態学的側面はしごく簡単だった
最も重要な要素は社交に費やす時間に関わる方程式で、これによってある種が維持できる社会集団の規模が直接決まる
霊長類は毛づくろいによって社会集団の結束を固める
その結果、霊長類では社会的な毛づくろいの時間が集団規模に正比例する
こうして社交時間と集団規模の関係はほぼ線形であることから、ある動物が一定の大きさの集団に属するために毛づくろいにあてるべき時間を決める単純な基準が得られる
集団の規模>毛づくろいの割当時間
その動物たちは十分に強力な絆を維持するほど頻繁に毛づくろいできなくなる
そうなると、集団は崩壊し始め、やがて別個の道を行く2、3の小さな集団に分裂する
ちなみに時間収支モデルはある種が生息地に築ける規模を特定するわけではなく、その生息地に対処できる最大の集団規模を示すだけ
その種はかならずしもその規模を持つ集団で暮らすわけではないとはいえ、それ以上の規模の集団では絶対に生きられない
これらのモデルはほんの一握りの変数にもとづいているので、種がどこで生きられ、どこで生きられないかをきわめて正確に予測できる
この結果を検証するため、私達はこれらのモデルを実際に使ってさまざまな種について既知の生物地理学的分布を大陸規模で予測した
まず、アフリカ大陸を緯度と経度で一度ずつの小さな碁盤目に分割し、各正方形の気候プロファイルを求め、これとその種のモデルの方程式を使って正方形内の集団規模を予測し、最後に得られた分布を実際にその種が生活する場所と比較した
適合度は驚くほど高く、総じて保全生物学による最良の生物地理学的モデルをわずかながら上回った
これは生物地理学的モデルが二分法的な予測しかできないのに対して、時間収支モデルは精密な定量的適合度を与えるためと思われる
類人猿モデルで得られた結果の中に、本書の目的にとって見逃せない重要な知見がいくつかある
まず、大型類人猿の生物地理学的分布にかかわる重要な制限条件が移動時間であること https://gyazo.com/622f473c80f00dc14c11ae314232ccd0
グラフはある集団が特定の生息地への移動に必要とする時間をチンパンジー・モデルによって予測した結果を、一緒に食物を探す個体数と生息地の質の関数として示す
集団の規模が大きくなるか、生息地が乾燥するにつれ、、移動時間は指数関数的に増える。
ふつう50~80頭のチンパンジー共同体が1つの群れとして食物を探すとすれば、これらのチンパンジーは1日の100%以上を移動に費やさなければならない
実際には、サルや類人猿で1日の20%以上を移動に費やす種はほとんどいない
移動時間配分を現実的な限界以下に抑えるには、チンパンジーは共同体を多数の小規模な食物探し集団(たいて、わずか3~5頭)に分けねばならない
これは移動時間に影響を与える生息地の豊かさ(数字上は降雨量として示される)と、食物探し集団の規模という2つの要素の結果であることがわかった
これは集団内の競争と、熟した果実しか食べられないために、その土地の食物をより速く食い尽くしてしまうことと関わりがある
降雨量の多い赤道付近の雨林地帯から離れるにつれ、移動時間は類人猿にとってたちまち非現実的なほど長くなってしまう
とりわけ、一個の集団として食物を探した場合にはそうなる
類人猿の生息地が赤道近くの狭い範囲に限られているのはこのためだ
一方、ヒヒ(ヒヒ属)の場合には、摂食コストが制限条件となる一方で、移動時間のコストには比較的影響されない(熟していない果実を食べられることが一部関係している) この結果、ヒヒは類人猿より広い範囲に分布している
彼らはサハラ砂漠以南のアフリカ大陸なら、砂漠か密林出ないかぎりどこにでも住める
初期ホミニンが現生類人猿よりはるかに広い範囲に分布していたことを考えると、どのようにしてそれを可能にしたのかという問いがにわかに浮かび上がる
第二に、チンパンジーが現在も存続しているのは、彼らが形成する離合集散社会が高い移動コストを相殺するからにほかならない 離合集散社会体制では、日中には共同体はより小規模な採食群に分かれる
このために、移動時間がかなり減る
チンパンジーの共同体が一つの大きな集団のまま食物を探したとすると、現在の生息地ではほぼどこでも時間が足りなくなってしまうだろう
ヒヒが暮らす乾燥した生息地の多くでは、チンパンジーは一日のうち大半を移動にあてねばならず、食べたり休んだりする時間は殆ど残らないはずだ
社会的な相互作用にいたっては論外だ
実際、現在の生息地でも、チンパンジーはたかだか10~15頭の共同体しか形成できず、これほど小規模のチンパンジーの共同体は維持が難しい
チンパンジーが比較的豊かな雨林の生息地でもこの問題に直面することを考えると、ホミニンがより食物の少ないサバンナに近い生息地に侵入した場合には、移動時間はさらに長くなっただろう
気温が上昇しても食性に融通性がないので食物に困る体
実際のところ、アフリカの類人猿は気候変動に応じて行動や食性を変化できるほぼ限界にすでに達している
オランウータンはこの意味では既にギリギリの段階にまで追いやられている
過去1万年ほどにわたって氷期後の気候変動によってどんどん赤道に向かって押しやられた結果、彼らは食物探しの集団の規模をぎりぎりまで小さくした
つまり、彼らは既に存続できる限界に極めて近く、絶滅のリスクは差し迫っている
鮮新世を通して気候が乾燥化し、より開けた土地に移ることを余儀なくされたとき、ホミニンも同じ問題に直面した 第四に、チンパンジーの分布を彼らの主要な捕食者(ライオンとヒョウ)の分布に重ねてマッピングすると、彼らの現在の生物地理学的分布は捕食者によって制限されていることがわかる すなわち、チンパンジーはアフリカの二種の大型ネコ科の動物のうちどちらかには対処できても、同時に両方に対処することはできない
アンゴラの広大な土地やコンゴ南部などは時間収支のためには都合がいいが、これらの土地にはライオンとヒョウがどちらも住んでいる
このためチンパンジーはこれらの土地に住むことができない
このことは、大型の霊長類にとっても捕食のリスクが重要であることを思い起こさせる
初期ホミニンの場合も状況はにていたと考えられる
これらの点をここで指摘するのは、動物にとって時間がどれほど大切かを強調するためだ
生息地の気候によってある活動により長い時間を費やすように強いられると、起きている日中のうちのかなりの時間を生存に欠かせない活動にあてねばならなくなる
だが、どこかで時間を節約しなければ、その土地では生きていけなくなる
これは軽視できない問題であり、ある種が生き延びるか絶滅するかを分ける問題の本質を突いている